その昔、隆起海岸九十九里平野の北東部に、大きな湖があった。これが椿湖と称され、この湖水は九十九里平野の農地の灌漑用水として利用されていた。
 
 寛文10年(1670年)この椿湖の干拓工事が行われ新田が開発された。この新田一体が後に干潟八万石と言われている。 
 
 この干潟八万石の一角に、当時の国防方針に基き日本海軍の飛行場、香取航空基地が建設された。しかし、 航空基地としての歴史は僅か2年にも満たないが、周囲の住民の この基地に関わる歴史は永かった。
 
 敗戦後60年余を経過した今、当時を知る人も年を追う毎に少なくなり、記憶も年と共に消えてきた。この辺で当時を顧み平和への願いを再確認致したいと考えてこのホームページを綴ります。
 
 千葉県旭市の一角にありました海軍飛行場、香取航空基地の建設から終戦処理及び、以後の開発までの歴史、又この基地から出撃した航空部隊の激戦の状況などを御覧下さい。

 

目  次



1、香取航空基地の建設

 
2、香取航空基地は第一航空艦隊の錬成基地となる 

 
、第三航空艦隊の編成と香取航空基地の配備

 
 
4、神風特攻隊・第二御盾隊の編成と出撃
 
 
 



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