松山基地から香取航空基地に移転
昭和20年2月12日午前8時四国松山基地の海軍第601航空隊に新指令の杉山利一中佐が着任、601空の攻撃第254飛行隊長肥田真幸大尉に次の命令を下ろした。
「艦上爆撃隊と艦上攻撃隊は、直ちに可動全力を挙げて関東地方の香取航空基地に移転せよ。在岩国の戦闘機隊は後日、令により移動、本職は輸送機で本日、香取に移動する。」
午後1時肥田大尉は艦上攻撃機(天山)隊を率い、艦上爆撃隊(攻撃第1飛行隊・彗星)とともに松山基地を離れ午後5時全機無事香取基地に移動を完了した。そして到着した飛行機は直ちに掩体壕に入れられる。
当時戦局は大きく傾き,間もなく米海兵師団が硫黄島上陸、日本軍守備隊と太平洋戦争でも最も激しい戦いが展開されようとしていた.従って、内地といえども、いつ敵襲を受けるかわからない緊迫した状況下にあった。
天山に哨戒命令、哨戒中の1,2番機が犠牲に
昭和20年2月15日硫黄島の哨戒機から敵発見を報告してきた。
「午後1時、敵水上艦艇見ゆ,大部隊にして、空母の在不明、位置硫黄島の160度、300カイリ」
続いて第三航空艦隊(木更津基地)の司令長官 寺岡中将から
「601空は天山4機をもって、木更津より80度と110度の間300カイリの哨戒を行え」との命が下る。
2月16日午前5時、攻撃254飛行隊長の肥田大尉は、天山艦攻に出発を命じた。1機また1機と、まだ明けやらぬ香取基地を飛び立ち、南方洋上に消えていった。
この段階では、香取大尉の指揮する戦闘機(零戦)隊は未到着で、敵を迎撃するには不十分な態勢であった。肥田大尉は敵が来襲しないことを祈り、残りの飛行機は俺体壕に入れ、機銃をはずして対空砲火用とし、急いで電信室に飛び込んでレシーバーを耳に当てる。
午前6時40分、最も恐れていた「ヒヒ……」の信号が耳に響いた。続いて「われ敵戦闘機の追跡を受る」を最後に連絡が途絶えてしまった。1番機である。
肥田大尉は「電信員、他機あて『敵戦闘機に注意』急げ!」と命じ、杉山指令に報告する。香取基地には警戒警報が発令され騒然となった。2番機とも連絡が取れない。1番機と同じく撃墜された公算が強い。
しかし、この1,2番機の犠牲により、敵は基地から100度。110度の方向にいることが判明した。80度、90度方向の3,4番機は直ちに了解『敵を見ず」と報告してきた。
敵機約50機と銃撃戦
午前7時少し前、あたりは明るくなりかけている。其の時『敵編隊東、高度7000、ちかずく!」と見張りが報告する。零戦隊のいないのが残念だ。零戦がいないのを見極めたのか、敵グラマンF6Fは降下して、地上の飛行機を攻撃した。
敵はこの日午前中、3回にわたって約50機が来襲、銃撃とロケット弾攻撃を繰り返した。わが地上砲火で数機を撃墜破したが、地上の天山3機が被弾炎上した。午前9時から正午までに、彗星6機が2機ずつ出撃したものの護衛戦闘機なしとあって,2機が帰還しただけだった。
一方、哨戒中の天山3,4番機には『香取基地に小型機来襲中,北方に避退し、松島基地に向かえ」と打電された。両機は無事に筑波と松島に着陸、夕方になって帰投した。
また、待望していた戦闘機隊は香取隊長に率いられ、午後1時に香取基地に進出した。同戦闘機隊はこの日朝、岩国基地を離陸、敵機動部隊の来襲を避けて厚木基地に着陸、同基地で戦闘準備を整え、敵と空戦を交えながら香取基地に到着したのである。
明2月17日も早朝から敵が来襲したが、今度は零戦隊がいる。香取大尉指揮する零戦隊が期待にこたえて、敵を見事に撃退したため、基地の被害はほとんどなかった。午後からの来襲はなく、敵はいよいよ硫黄島の攻略に向かったものと推定できた。
又旭防空監視硝の記録、関東地区防空警報と関連記事年次表の中で2日間の記事は次のように記されている。
2月16日
7.09〜9.35 (空襲警報発令時間〜解除時間)
旭硝上空F4U16機来襲、夜明けごろ発見報告。
香取基地13機発進(全機やられる)硫黄島艦砲射撃受く。
10.47〜12.05
艦載機自在に暴れまわる。
12.30〜13.23
立硝交代できず握り飯で勤務する。
第1〜7波来襲、旭市内1名機銃で死亡。
14.55〜16.00
艦載機940機。1〜7波見渡す限り敵機となる。
香取基地全然出撃せず、グラマン、カーチス。ダグラスの各機来襲
2月17日
7.23〜10.50
寒さと緊張に震えて立硝にがんばる。降雪模様となる。
12.02〜12.17
第1〜4波艦載機590機。茨城方面基地と工場攻撃。
暴れ放題の敵艦載機群
(旭防空監視硝の記録、根本硝員の日誌より)
昭和20年2月16日
早朝6時ごろより、監視の重点を東方より南西方向とし、通信員以外は全員で立硝する。
東方の山際が少し明るくなってきた。宮内正三硝員が、「あれは鳥かなあ?」とつぶやく。直ちに対空双眼鏡で見る。「飛行機だ」 逆カモメ翼のF4U(艦戦コルセア)だ。4機編隊で4っ、16機を発見、直ちに本部に報告する。
この時点での発見報告は、銚子本部所属の監視硝中で一番早かった。前日香取海軍航空基地将兵に対する非常呼集の動静から、監視の目を光らせて、一晩中細心の注意を払っていたからだ。
敵の艦載機群の編隊は、だんだん旭硝の方に向かって飛んできた。香取基地から零戦がつぎつぎと離陸し始め、編隊を組みながら急上昇する。F4Uもこれを発見したらしい、速力を増してくる。
零戦隊13機は、まだこれに気がつかない。「危ない」、「逃げろ」,立硝台の上で思わず大きな声が出る。F4Uは巧みに背後にまわる。高度も有利だ。!!万事休す!!、急降下して一撃で5〜6機が墜される。残った零戦はバラバラになって逃げる。これを2機ずつに分かれたF4Uが後を追う。ゼロ戦は逃げるが,みんな捕らまって次々と墜されてしまう。搭乗者が落下傘で飛び出した。遂に13機がやられF4Uだけが残った。口惜しいがどうしようもない。
そして今度は急降下で香取海軍航空基地を次々に攻撃、基地から十数条の黒煙が上がる。この艦載機群は、香取基地の制圧隊らしく、2時間くらい基地上空に滞空して南方海上に退去した。
やがて交代者も勤務につく、非番となった我々も帰宅するどころではない。必ずまた敵空母から奴らが飛んで来ると感じているからだ。
間もなく東北方からも、東南方からも艦載機の大編隊が現れた。西進するのもあれば北進するのもある。西進するのは帝都方面、北進するのは茨城県下の飛行場の攻撃らしい。味方機は全々姿を見せない、心細い感じだが仕方がない。朝食もニギリ飯を食べながらの立硝である。相変わらず交代も出来ず、上、下番の硝員一緒に勤務を続ける。見渡す限り敵機だ。グラマンF6F,F4U,カーチスSB2C(艦爆)、ダグラスSBD(艦攻アペンジャー)、の大編隊だ。…………略………夕方になると、敵機は遥か洋上に姿を消した。今日発見した敵艦載機は延べ1,000機位を数えた。今夜はとても底冷えのする寒い夜である。
2月17日
今日も空襲が予想されるので、早朝から警戒を厳にする.みんな疲れと、不安を感じながらも頑張り続けている。7時ごろ敵の艦載機群が現れた。だが東総地区には侵入せず、編隊の群れは、どんどん西方や北方の奥地に飛んで行く。空は曇り凄く寒い日だ。
昼ごろになると、とうとう雪が降ってきた。そのせいか敵機の数もだんだん少なくなり、かえる「敵さん」が多くなった。午後2時頃になると見渡す限り雪で真っ白になった。まだまだ積もりそうだ。…………以下略
3第三航空艦隊の編成と香取航空基地の配備 終り
4神風特攻・第二御盾隊の編成と出撃は こちらから
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